街がイルミネーションで輝き始める頃、とある一人の少女が街一番と言わ れているケーキ屋へと入って行った。その美しい漆黒の髪を冷たい風になび かせる少女の胸元には、誕生日のプレゼントに親友から貰ったロザリオが光 に反射して煌めいていた。


 雪華が店内に入ると人の良さそうな綺麗な女性が、彼女を満面の笑みで出 迎えてくれた。女性の名は加藤綾子、このケーキ屋『エデン』の店主だ。名 付けた本人がホストクラブみたいな名だ、と言ったのは雪華の記憶にまだ新 しい。

「遅くなってごめんなさい、綾子さん」
「なぁに言ってんの。早いくらいだよ、雪華」

 はははっ、と豪快に笑う綾子に、雪華は微苦笑を漏らす。何気なく時計を 見てみれば、開店まであと五分しかなかった。雪華は目を見開き、マイペー スな綾子に開店の準備をするよう促した。
 雪華はやっと準備に取り掛かってくれた綾子の背中を見、自分も制服から 仕事着に着替える為に店の奥へと向かう。
 雪華が綾子と出会ったのは、ほんの三ヶ月前。新しいバイト先を探してい た雪華に救いの手を差し伸べたのが、加藤綾子という女性だった。その頃の 雪華は孤児院を出たばかりで、一人暮らしをし始めた彼女には金銭が必要だ ったのだ。彼女が九歳の時に亡くなった両親が残した遺産は、遠の昔に底を 突いている。頼る大人もいないに等しい。そんな時、綾子に出会ったのだ。 今では、雪華にとって加藤綾子という人物は姉のように頼れる人物になって いる。

「よぉ、せっちゃん!!今日も可愛いなっ」
「…………おう、てっちゃん。毎度同じ挨拶、ごちそうさま」

 スタッフルームに入ると、雪華と同じ歳くらいの少年が茶なんか飲みなが ら寛いでいた。その少年の毎度ながら同じ挨拶に、雪華は呆れながら言葉を 返す。
 少年の名は加藤哲哉、綾子の弟だ。姉に似て端整な顔立ちだが、どうやら 性格までは似なかったようだ。『女の子には優しく』をモットーにするこの 少年は、硬派という単語とは程遠い性格をしていた。女と聞けば、見境なく 口説く。だが、姉の綾子を気遣って仕事の手伝いをしている事を知っている 雪華は、どうしても彼の事が嫌いになれなかった。

「やぁー、せっちゃんのお陰で商売繁盛だよ。姉貴もせっちゃんが来てから、 心から嬉しそうに仕事してるし」
「私の方こそ……雇ってくれて本当に感謝してる。綾子さんがあの時私に声 をかけてくれていなかったら、私は今頃飢え死にしてるもの」

 にこにこと笑いながら話しかけてくる哲哉に、雪華は自分のロッカーに歩 み寄りながら答えた。

(少しだけ、体が怠い気がする。熱かな?)

 雪華は自分の掌を額に当ててみる。どうやら熱は無さそうだ。自身の体に 違和感を覚えながらも、雪華は取り敢えず仕事着に着替えることにした。
 ロッカーの奥から取り出した仕事着は、シンプルな白いエプロンだった。 この店の仕事着は一つに統一されていない。というのも、綾子がみんな全く 一緒というのは個性がなくてつまらない、と言ったのが原因らしい。だから、 白い布地のエプロンならどんなのでも良い、というのがこの店の決まりごと の一つだった。
 雪華が使用しているこのエプロンは、実を言うと綾子からの貰い物である。 雇われた当初、金がなかった雪華に「使い古しだけど」と言って差し出して きたのがこのエプロンであった。使い古しの割には新品同様な白さを誇るエ プロンに最初は受け取れないと拒んでいた雪華だったが、綾子の押しの強さ に負けて渋々受け取る事になった。そして、今現在に至る訳である。
 貰ったときと寸分変わらぬ白さを誇るそのエプロンからは、どれほど雪華 が大事にしているかが伝わってくる。

「せっちゃんサァ、そのエプロンすっげ大事にしてるよね」
「まぁね。綾子さんから貰った物だからね。貰い物は大事にする主義ですので」
「ふーん。いい子だね、せっちゃん」
「…………はいはい、もうすぐ開店時間だよ。さっさと働くっ!!」

 姉の綾子と同様に弟の哲哉を促した雪華の顔は、仄かに朱色に色付いてい る。褒められる事に慣れない雪華は、毎回褒められる度に頬を朱に染めてい た。その所為でからかわれる事は少なくない。今回も例に漏れないようで… …――。

「お?せっちゃんってば顔赤いぜ。熱でもあんの?」

 にやにやと笑いながら、哲哉が雪華に問うてきた。答えなど、聞かなくて も判っているくせに。
 からかわれている事に気付いた雪華は更に顔を赤く染め、この部屋から哲 哉を追い出すためにぐいぐいと背中を押した。さっさと出て行け、と。

「赤くないカラッ。さっさと……働けっ!!」

 バンッ、と言う音と共に扉は閉められた。廊下で哲哉が何やら言っている ようだったが、雪華は聞こえていないフリをする。早く着替えてしまわない と、お客さんが来てしまう。雪華は制服の上に、エプロンを着始めた。
 不意に、視線を感じた。背後を素早く振り向いた雪華だったが、そこには 何もなかった。気のせいか、と気を抜いた雪華だったが、扉の前に何かが落 ちているのを発見して歩み寄る。目標を確認するためにしゃがみ込んだ雪華 が見た物は、白や黒ではない灰色の羽根だった。

「なんで羽根が?……でも、」

 きれい、と雪華は呟いた。艶やかで光沢のあるそれは、触れてみると柔ら かい質感だった。そして、空を掴んでいるのかと錯覚するほど軽い。
 思わず魅入ってしまっていた雪華だが、扉の外から聞こえてきた早く来い という哲哉の声で我に返る。手元にあるこの羽根をどうしようかと一瞬戸惑 う雪華だったが、再び哲哉の声が聞こえるとそれをポケットの中へと仕舞っ た。そして、彼女は目の前の扉を勢いよく開けて、急いで部屋を飛び出たの だった。






「お疲れ様でした」
「おつかれぇー。気をつけて帰りなよ」

 挨拶をして一礼すれば、店の後片付けをする綾子が作業をしたままの状態 で雪華に言葉を返した。夜道は危ないから、と最後に付け足してから綾子は 一度手を止める。しかし、不思議そうな雪華の視線に気付き、ぎこちなく笑 いながら作業を再開した。
 意味深な綾子の言動に首を傾げ考える雪華だが、答えは得られぬまま諦め て帰宅する事にした。もう一度残っている店員達に礼をしてから、雪華は外 へと繋がる丸みを帯びたドアの取っ手を掴む。

「またなー、せっちゃん」

 哲哉の声に、雪華はゆっくりと振り返り微笑みを返した。そして、再び前 を向いて歩き出す。そんな少女の背中を、姉と弟は優しい眼差しで見送った のであった。







 時刻は十時、街は静まる事を知らないかのように賑わっている。幾人もの 人と擦れ違いながら、雪華は自宅へと向かう。夜道を照らす瞬く星のように キラキラと輝くイルミネーションは、赤や緑、青といったクリスマスカラー で統一されていた。それらを、雪華は楽しげに眺めながら歩む。
 愉快なテンポのクリスマスソングに耳を傾け、雪華はふと幼い頃を思い出 した。『赤鼻のトナカイ』を流しながら、クリスマスツリーに飾り付けをす る自分と父の姿。そして、おいしそうな薫りを漂わせるご馳走を運んでくる 母の微笑み。あの頃は幸せで、何もかも輝いて見えた。それなのに―……。

「…………ゆき?」

 気付けば、雪華は自宅であるアパートの前にいた。先程まで感じていた喧 騒はどこへやら、彼女が今いるこの場所は不気味なほど静まり返っている。 人一人、猫一匹も気配を感じさせないここは、本当に現実の世界だろうかと 雪華に錯覚を覚えさせた。
 天空から舞い降りてきた“それ”を初めのうちは雪かと思っていた雪華だ が、見上げたとき目前に迫った白に近い灰色の“それ”を見て全く違うもの だと気付く。手を伸ばして、舞い降りてくる“それ”を雪華は静かにに受け 止めた。そう、この柔らかな感触と硬質の軸から羽枝が生え揃った構造。彼 女の掌には、一枚の灰色の羽根が納まっていた。

「今日は羽根が多いなぁ。鳥でも大量発生してんの?」

 白い息を吐き出し、雪華はその羽根を眺めた。鳥の羽根にしては僅かなが ら大きい気がする。
 雪華はそれを、コートのポケットに仕舞った。捨ててしまうにはその羽根 はあまりにも綺麗で、勿体無い気がしたのだ。アクセサリーを作るのに使え るかもしれない、と雪華は一人考え始める。




――……見つけた。










 立ち去る自分の後ろ姿を、無感情な瞳で見つめる人物に気付かぬまま。


 


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