その日は朝から雪が降っていた。その日は世間で言う、所謂クリスマスと いう日で、天咲雪華という人間が生を受けた日でもあった。しかし、彼女は いつもと何ら変わらず、バイトに勤しんでいた。 外では雪が降っているというのに、人が絶えることは無い。忙しなく過ぎ 去って行く人々。一体、何をそんなに急いでいるのだろうか。 そんなことを考えながら過ごしていたら、いつの間にか時計の短針は7を 示していた。窓に目を向けてみれば、外は既に暗くなっている。もうこんな 時間か、と雪華は溜息を吐いた。 その時、綾子が困ったような表情を浮かべ、雪華のもとへとやって来た。 「雪華、今日はもう帰りな。雪が酷くなってきたから」 「え、でもまだ……」 「店ももう閉じるわ。客もこの雪の中じゃ来なさそうだし」 そう言って、綾子は窓の外を見た。雪華も釣られて見てみると、大粒の雪 がひらひらと舞い降りていた。これは積もるな、と雪華は直感する。 「……わかりました」 素直に頷いて、雪華は苦笑を浮べた。仕方が無いか、と。本当のことを言 うと、今日は一人になりたくなかった。祝ってほしい訳ではないが、一人で 過ごすのはあまりにも心淋しい。しかし、自分の我がままの所為で迷惑をか ける訳にもいかないだろう。 「あ、そうだ。今日はクリスマスだし、一つケーキ持って帰りな。勿論、金は取んないよ」 そう言った綾子に雪華は胸に暖かいものが広がるのを感じ、ありがとうと 微笑んだ。豪快に微笑む目の前の女性は、きっと今日が雪華の誕生日である ことを知らないだろう。しかし、それでも雪華には綾子のその優しさが、と ても嬉しかったのだ。 「おつかれさまでした」 「ん、お疲れー」 「せっちゃん、バイバイ〜」 いつものように挨拶をして、雪華は店の外へと出た。骨が軋むような寒さ に、思わず身震いをする。――だけど、嫌いじゃない。この、凛とした寒さ も、空から舞い降りる白い雪も。雪華は降りて来る白い雪を眺め、ゆっくり と歩き出した。 『雪華』という名前は父が名付けてくれたのだと、以前母が言っていたの を思い出す。もう、遠い昔のことだ。『雪のように美しく、華のように愛ら しく育ってほしい』という願いを込めて名付けたらしい。まぁ生憎、その願 い通りには育たなかったけれど。でも、その所為だろうか。雪に対しては、 親近感が湧いてしまう。 暗い空から舞い降りる白い雪は、ただ静かに降り続けた。人々の頭上を、 家々の屋根を、白く染め上げていく。地面に積もった雪を踏み締めれば、ギ ュッギュッと小さく鳴った。 暫らく歩けば、灰色の建物が見えてきた。雪華が住むアパートだ。雪華は 白い息を吐き出し、コートのポケットから鍵を取り出した。二階建てのアパ ートの階段を上り、そこから三番目の部屋の前へ歩いて行く。一番奥である その部屋が、雪華の住む部屋だった。彼女は鍵を錠の孔に差し入れ、半分ま わす。カチャリ、と。 ドアのノブに手を触れたところで、雪華は左隣の部屋の扉が開く気配を感 じた。思わずそちらに目を向ければ、見慣れない人物がそこに居た。金色の 髪がとても印象的で、ついそこに目がいってしまう。しかし、よく見れば顔 立ちも整っていて、手足もすらっと伸びているモデル顔負けの容姿だった。 金髪のその美が付くような青年は呆然と立っている雪華に気付き、笑みを 浮べてこちらに歩み寄って来る。近づいて来る青年に、雪華は見覚えがある ような気がした。しかし、どんなに思い出そうとしても自分の記憶の中から は見つからない。こんな金髪美青年、きっとどこかの芸能人か何かに似てい るのだろうと思い、雪華は考える事をやめた。 「こんばんわ。今日引っ越してきた、 そう言って、金髪の美青年は手を差し伸べてきた。訝しげな表情で、雪華 は彼の顔と手を交互に見比べた。そして「はぁ……」と首を傾げながらその 手を取った。なんだ、笑顔が殺人的に眩しいこの青年は。 「えっと、天咲雪華です。よろしくお願いします」 取り敢えず辞儀をして、雪華は手を引っ込めようとする。しかし、ハルトが それを許してくれない。雪華は引き攣った笑みを浮かべ、どうしたものかと 視線を泳がす。依然手の力を弱めようとしないハルトに、雪華は「あの……」 と口を開いた。 「カイバさん、手を……」 離して、と言おうとするが、彼の微笑みがその先を言わせてくれない。雪 華は溜息をひとつ吐き、諦めの眼差しで目の前の青年を見上げた。そして、 気付く。彼の金色の髪があまりにも印象が強くて気付かなかったが、ハルト の瞳は綺麗な青色だった。ハーフか何かなのだろうか。 「ハルトって呼んでよ。俺も雪華って呼ぶからさ」 「はぁ!?」 行き成りの申し出に驚き、雪華は思わず大声を出してしまった。近所迷惑 になってしまうと、後悔で雪華は眉を顰める。そんな彼女を面白そうに笑う ハルトを、雪華は恨めしげに睨み付けた。元はといえば、誰かさんが突拍子 もない事を言い出した所為ではないか、と。 「下の階の水嶋さんに聞いたんだけど、雪華も俺と同じ高一なんだってな。だから、ね?仲良くしようぜ」 「……私、軽い人って嫌いなの」 そう言い捨てて、雪華はハルトの手を振り解いた。そして、自分の部屋の 扉を開けて逃げるように入った。閉じてゆく扉の隙間から見えたハルトの笑 みが、雪華の心を僅かに揺らす。そんな自分に気付き、雪華は頭を横に振っ た。これから隣の青年とは関わらないようにしよう。雪華は自分にそう誓っ た。その誓いがすぐに破られるとも知らずに。 雪華はぼうっと、ベランダへ続く窓の外を見つめていた。一応テレビはつ いているものの、どうも見る気分にはなれなかった。ただ、一人の静けさを 紛らわす為につけているに過ぎないのだから。 ふと、貰ったケーキの存在を思い出す。帰宅してすぐに冷蔵庫に入れたま まで、手をつけていなかった。雪華は立ち上がって、キッチンへと向かった。 冷蔵庫の扉を開いて、中を覗き込む。中には調味料とミネラルウォーターが 数本、そして白い四角形の箱がひとつ。我ながら寂しい冷蔵庫の中身だと、 雪華は思った。 白い箱を開ければ、ショートケーキが1ホール入っていた。流石に1ホー ル入っているとは思わなかった雪華は、驚きで目を見開く。道理で箱が大き めな訳だ。食べきるのに何日かかるだろうか。想像しただけで、胃がムカム カしてきた。雪華は元々甘いものが嫌いではないのだが、一人で1ホールは やはり少し無理があると思う。さて、どうしたものか――。 『 ピンポーン 』 その時、ドアチャイムが鳴った。こんな時間帯に誰だろう、と首を傾げな がら雪華は玄関へと向かう。ドアの覗き穴から訪問者を確認して、雪華は思 わず頭を抱えそうになった。 雪華を訪ねて来た人物、それは――。 「よっ、雪華」 「……カイバさん」 溜息を吐きたい衝動を、雪華は堪えた。扉を開いた雪華を迎えたのは、満 面の笑みを浮べた美青年だった。痛む頭を軽く抑えつつ、雪華は用件を問う。 何か用ですか、と。 素っ気無い雪華の態度にも怯まず、微笑みを浮かべ続けるハルト。そんな 彼の方から、食欲をそそる良い香りが漂ってきた。ハルトは雪華の目の前に 盆に乗った丼を差し出す。興味をひかれ、雪華は丼の中を覗き込んだ。 「……お蕎麦?」 「うん、引越し蕎麦。余ったんだけど……食う?」 そう問いかけてくるハルトを見上げ、雪華は思案した。正直なところ、雪 華は腹を空かせていた。バイト帰りにコンビニで夕食を買って帰ろうと思っ ていたのだが、雪に夢中でついその事を失念していたのだ。家には夕飯の材 料となる食材は無く、雪華は夕飯を諦めたのだった。だから、ハルトの誘い は嬉しい。しかし同時に、何か裏があるのではと考えてしまう。ハルトに借 りを作りたくない、というのが雪華の気持ちだった。ここで借りを作れば、 目の前の青年はこの先調子付いて自分に関わってこようとするだろう、と。 そんな雪華の考えに気付いたのか、ハルトはふっと穏やかな笑みを浮べた。 今まで浮べていた笑みとは別の種類の笑みだった。そんなハルトに、思わず 雪華の心臓が跳ねた。 「遠慮すんなよ。恩を着せようとか思ってねぇしさ」 なっ?と穏やかに微笑むハルト。雪華は無意識のうちに頷いていた。気付 いた時には既に遅く、ハルトは悪戯が成功した子供のような笑みを浮べてい た。失敗したかな、と雪華は思いつつも、内心では悪い気はしていなかった。 彼の――ハルトの笑みを見ることは、不思議と嫌いではないから。 「……ありがとう」 そう言って、雪華は何か礼が出来ないかと考える。ふと、脳裏に今日貰っ たケーキが過ぎる。 「じゃあ、俺はこれで…………」 「待って!!」 去ろうとするハルトを、雪華は呼び止める。そんな彼女を不思議そうに見 てくるハルトに、雪華は微苦笑を浮べた。そして、静かに口を開く。 「 ケーキ、食べていきませんか? 」 |
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