普通の人間とはどんな人物の事を言うのだろう。少なくとも白い翼が生えて いたり、超能力が使えるような人間は普通とは言わない。普通どころか、本当 に人間なのかも怪しいが。
 思うに、特に良くも悪くもない事を人は“普通”と言うのだろう。その点で 言えば、天咲雪華は普通の人間であると言えた。
 容姿は十人並で、頭だって良くも悪くもなく、テストではいつも真ん中の順 位だった。唯一彼女の飛び抜けて秀でている事といえば、剣道の腕前くらいな ものだろう。自他共に認める普通の女子高生、それが天咲雪華だった。








「何が欲しい?」

 そう聞かれ、あまりの突拍子の無さに雪華は思わず聞き返した。何ってなに が、と。
 そんな雪華に、彼女の友人は呆れたように肩を竦めてみせた。

「何って……誕生日プレゼントに決まってるじゃん」
「あぁ、そのこと。……気ぃ使わなくても良いよ、別に」

 雪華が素っ気なく答えると、眉を顰めた友人―守山日和―が腕を組みながら 反論してきた。雪華は内心面倒臭いと思いながらも、それを黙って聞くことに する。どうやら反応するのも面倒臭いらしい。

「なに言っちゃってるの、雪華!!年に一度のお誕生日、バースデイなんだよ!? ここは素直に欲しいものを言ってみなさいっ」

 ふん、と鼻息を荒く吐き出し、日和は胸を張った。そんな日和を暫らくつまら なさそうに見つめ、雪華は軽く溜め息を吐き出す。そして今まで浮かべていた 仏頂面とは打って変わって、ふわりと微苦笑を浮かべた。

「……ありがと、日和。でも、本当に気にしなくていいから。冬休みは中丸く んと旅行なんでしょ?貯金しなくちゃじゃん」
「あー……うん。それね、無しになったの」
「えっ…………なんで?」

 誤魔化すように笑う日和に、雪華は驚いたように目を見開いた。

「別れた」

 きっぱりと言い放つ日和に、雪華は眩暈を覚える。
 もう何度目だろう、彼女が彼氏と別れるのは。高校の入学式以来の付き合い である雪華が知る限り、今回の『中丸』で12回だ。長く続かない彼女にして は今回は保った方だ。普段は一、二週間で飽きていた日和だったが、『中丸』 との交際は一ヵ月も保ったのだから。
 それなのに、やっと落ち着いてくれたと思った矢先にこれだ。雪華は呆れて 溜息を吐いた。

「別れたって……上手くいってたじゃん。冬休みに旅行だって考えてたんでしょ?」
「まぁね。でも、何かイマイチ……」
「いまいち?」
「……ピンとこなくて」

 またか、と雪華は唸る。
 毎回、日和は同じ理由で付き合っている彼氏をふっていた。今回も例に漏れ ないようで、彼女はしれっと宣う。
 恋多き女というのは、きっと日和みたいな子のことを言うのだ。そう、雪華 は一人納得した。
 一際飛び抜けて容姿が可愛い日和は、性格も悪くないのでよくモテる。ただ、 本来の飽きっぽさ故か、付き合っても長く続かない傾向がある。その所為か、 一部の女子からは『男好き』と罵られていた。この事を、雪華と日和は知って いる。
 以前、とある女子グループとすれ違ったときに聞こえてしまったのだ。いや、 あれは恐らくわざと雪華達に聞こえるように言ったのだろう。
 雪華は彼女達に反論しようとしたが、それを日和は平然とした表情で止めた。

「いいよ、放って置きな」

 と。以来、その件については雪華は口を出さなかった。当事者である本人が 放っておけと言っているのだから、第三者である雪華が口を挿むのも変だと思 ったのだ。
 それに、彼女を妬むのは本当にごく一部の者達だ。それ以外の者達は皆、彼 女の事をある程度理解してくれていた。その事が、密かに日和を心配していた 雪華にとっては嬉しかった。

「はいはい。日和はオトメだもんね、白馬の王子様を夢見て待っているんだも んねぇ。私へのプレゼントを考える前に、まず自分の事を考えなさい」

 話はそれからよ、と言って雪華は頬杖をつく。右から日和が何か言ってくる のが聞こえたが、面倒臭くなった雪華は無視を決め込んだ。
 雪華は日和が自分に何の相談もなしに別れてしまったのに対し、実は密かに 腹が立っていた。
 勿論、全て話してもらおうとは思っていないし、聞きたいとも思っていない。 しかし、少しぐらい相談してくれたって罰は当たらないのではないか。そう、 寂しさにも似た怒りを雪華は感じていた。
 だから、これはちょっとした雪華の日和への腹癒せだ。付き合おうが別れよ うが日和の勝手ではあるが、雪華は雪華なりに心配をしていたのだ。これ位の 仕返しは許してもらえるだろう。


 程無くして、一時限目を知らせるチャイムが鳴った。雪華の右隣で喚いてい た日和は恨めしげに雪華を見て、自分の席へと戻っていく。
 その気配を右肩で感じながら、雪華は窓外の空を見上げて物憂え気に溜息を 吐いた。


 空から一枚の羽根が舞い降りていた事には誰一人気付かずに、木曜日の一時 限目の授業は始められた。






 翌朝の十二月二十三日、教室に入った雪華は目を見開いた。それも仕様が無 い事だろう。何故なら、親友である可愛らしい少女が、行き成り自分に突進し てきたのだから。
 雪華の目の前で急停止した日和は、にーっこりと満面の笑みを浮べた。そん な彼女に、思わず雪華はたじろぐ。何が起こるのかと身構えた雪華を余所にし て、日和は後ろ手に隠した何かを差し出してきた。

「はいっ、プレゼント!!」
「…………は?」

 明るい声音で微笑む日和とは逆に、雪華は状況が飲み込めずに間を置いて返 事をする。雪華は視線を日和から、彼女が持つ桃色の包みへと移した。長方形 のそれは、日和の両手にちょこんと乗っている。
 雪華は再び、視線を日和へと移した。彼女は不気味なほどに満面の笑みを浮 べている。逃げ出したい衝動を抑えながら、雪華は口を開いた。それは何であ りますでしょーか、と。

「何って……プレゼントだってば」
「いや、だから何でイキナリ」
「イキナリではないでしょ。昨日、何が欲しい?ってちゃんと聞いたし。 ……答えてくれなかったケド」

 拗ねたように口を尖らす日和を見て、雪華の口元に微かだが笑みが浮かんだ。 結局買ったのか、と。嬉しさに、自然と心が暖かくなる。
 雪華はゆっくりと、彼女が持つ包みに触れた。そして、静かにその包みを受 け取る。ピンクの包装紙だなんて自分には不釣合いだな、と思いながら雪華は 柔らかく微笑した。それから、愛おしげに包みを撫で、視線を日和に向ける。

「……これ、開けて良い?」
「え……あ、うんっ」

 日和の返事を聞くと、雪華は緩やかな動作で包みを開け始めた。その様子を、 日和は不安そうに見守っている。
 桃色の包装紙を綺麗に剥がすと、長方形の箱が出てきた。何だか高そうな箱 で、雪華は思わず眉を顰める。元来の貧乏性の所為か、彼女は自分へのプレゼ ントに高価なものを貰うのを嫌っていた。その事を知っている日和は、雪華が 眉を顰めたのを見て慌てた。

「あ、それね、見た目ほど高くない、カラ」

 困ったように笑いながら、日和は言う。しかし、雪華の表情はあまり変わら ない。無言のまま、雪華は箱を静かに開けた。
 雪華は中身を見たその瞬間、思わず目を見開く。中に入っていた物、それは ……――。

「……十字、架……?」
「ロザリオ、っていうの」

 ロザリオ、と雪華は口の中で反復する。彼女の心に何か、不思議な感情が染 み渡った。
 恐る恐る雪華はロザリオに触れた。それは何故だか人肌のように暖かくて、 雪華は驚いて指を離す。そして、今度はゆっくりと静かに、再びロザリオに触 れた。だが、先ほど感じた暖かさは無く、ひんやりと冷たい十字架がそこにあ った。気のせいか、と雪華は息をつく。
 よくよく見ると、“それ”は何処かで見たことのあるような形状だった。十 個ずつ並んだ黒い小さな珠が5セットあり、そしてそれぞれのセットの間に大き な黒い珠が1個ずつ並んでいる。ネックレス状のそれは、小振りの十字架が付い ていた。

「雪華……?」

 思わず魅入ってしまっていた雪華は、日和の呼び掛けで我に返る。苦笑しな がら、彼女は日和に視線を移した。

「あ……のね。ロザリオって本来は祈るための物なんだけどね、雪華にはお守 りとして持っててもらいたいな、なんて。……ダメかな?」

   不安げに瞳を揺らし、日和は雪華に問いかける。そんな彼女に、雪華は微苦 笑を漏らした。否定するはずが無いのに、と。
 雪華はロザリオを箱から取り、一瞬だけ躊躇した後にそれを首にかけた。彼 女が触れた銀の十字架は、やはり冷たい。

「……駄目、な訳ないじゃない。…………ありがとう、日和」

 そう言って、ふわりと笑みを浮べた雪華。その表情はとても嬉しげで、陽だ まりの様に暖かい。見たもの全ての者に、思わず聖母マリアを連想させてしま うほどに。
 雪華のその表情を見て、日和は自分の品選びは正しかったのだ、と一人ホッ と息をつく。そして、受け取ってもらえた安堵感から、彼女は口元を緩めた。
 雪華の胸元には、ロザリオの銀色の十字架が、その存在を主張するかのよう に日の光を受けて鋭く煌めいたのだった。










 ――彼女の誕生日まで、あと二日。

 


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