優しい温度、君のてのひら。









真っ白い雪の中、私達二人は手を繋ぐ。

「とーまくんのてはつめたいね」
「あ……ごめんね。寒いよね……」
「ううん、だいじょーぶだよ。パパがね、いってたの。てがつめたいひとは、ココロがあっ
たかいんだよって。」
「そう……なのかな……?」
「うんっ!!だって、とーまくんはやさしいもん!!パパはうそつかないもんっ!!」
「そっか……ありがとう、優貴ちゃん」
「?なんで?なんで、ありがとうなのぉ?」
「くすっ。僕は優貴ちゃんの温かい手、好きだよ」
「……ゆ、ゆきも、とーまくんすきっ!だいすきっ!!」



遠い遠い、幼き頃の記憶。








『君のてのひら。』









「優貴……起きろ」
「ん……」

 眩しい朝日と、“彼”の声で目が覚めた。ここ数年間で、当たり前になってしまった事だ。 眼を開けるとそこには、不機嫌そうな黒髪の“彼”が腕を組んで私を見下ろしていた。

「とーま……?」
「早く起きろ、能天気オンナ」

 彼、佐々木 冬真は、私の一つ上の幼馴染兼お隣さんだ。高校一年生の私に対して、彼は高 校二年生。互いの親が昔から仲が良く、それ故家族ぐるみで遊びに出掛ける事が幾度もあっ た。私と冬真も、昔は本当の兄妹のように仲が良かった。しかし、いつからだっただろうか。 冬真が私に対し、素っ気無くなったのは。

「さっさと支度して下りて来いよ。俺、朝飯食ってるから」

 冬真はいつもの無表情でそう言うと、部屋から静かに出て行った。私は寝起きでまだ重い 体を、上半身だけ起こした。はぁ……。昔はあんなに無愛想じゃなかったのにな……。寧ろ、 素直で可愛い男の子だった。私への態度だってもっと……優しかった。一人称だって『僕』 だったのに、いつの間にか『俺』に変わってた。彼は私を置いて、どんどん遠くへ行ってい る。振り返りもしないで。

「あ……着替えなきゃ」

 彼が部屋から出て、どれ程の時が経ったのだろう?然程経っていない事を祈りたい……。 緩慢な動作で、ベットから立ち上がる。ふわり、と風が吹いた。……カーテン、冬真が開け たのかな?窓まで開いちゃってるけど。……まさか、窓から入ってきたんじゃ……ないよね ぇ……?



   ++++++



「おはよう、優貴」

 リビングのドアを開けると、芳ばしい香りとやんわりとした母の声が私を迎えた。すぐ目 に入ったのは、優雅にコーヒーを啜っている冬真の姿。ん?なんでコーヒーか判ったかって? 部屋中に、コーヒーの芳ばしい香りが充満しているんだもの。キッチンに立っている母に目 を向け、「おはよう」と一言。欠かせない日課。ずっと昔からの……。

「優貴、なに呆けっとしてるのっ?早く食べちゃいなさい」
「はぁい」

 気の無い返事をして、席に着く。目の前には新聞を読みながらコーヒーを啜る親父……基、 少年。……綺麗な顔だなぁ。こういう人を世間は“美少年”と呼ぶのカナ?言葉じゃ表現で きないほど端整な顔立ち。だけど……女の子には見えない。それは、私が彼に向ける特別な 感情の所為かもしれないけど。きっとそれを差し引いても、女の子には見えないだろうなぁ。 そう思案しつつ、用意されてあったトーストを一口かじる。口内にいちごジャムの風味が広 がる。うん、丁度良い甘さだ。自然と頬が緩んでしまう。

「何、阿呆面してんだ」

 いつの間にか冬真が頬杖をつき、こちらをじっと見ていた。今、途轍もなく失礼な事を言 われた気が……というか、言われた。ツキン、と胸が痛んだけど……気にしない。こんな事 で一々気にしていたら、身が持たないもん。

「ほら、二人共。もう時間じゃない?」

 母のその一言で、私は現実に引き戻された。冬真を見ると、もう準備万端と言うかのよう に立っていて、私を見下ろしていた。

「ご、ごめん冬真」

 私のその一言を聞いて一瞥すると、彼は玄関の方へ向かった。私も急いで立ち上がり、床 に置いていた鞄を持って冬真を追いかけようとした。しかし、母の「待ちなさい」という呼 びかけで引き止められてしまった。

「何、ママ?」

 少し焦りを感じつつ、母の方を振り向く。母は可愛らしいフリフリのエプロンに身を包み、 これまた可愛らしい笑顔で私の元へ小走りでやって来た。母は私の首元に手を伸ばし、学校 指定のネクタイを正してくれた。

「あ、ありがと……」
「いえいえ」

 一児の母とは思わせない程の若々しい目の前の人。小柄で、守ってあげたくなるような母。 正直羨ましいと思ってしまう。私も母のように可愛ければ、冬真は今でも優しい儘だっただ ろうか?……駄目。こんな考えは、駄目だ。私は私だし、母は母なんだもの。こんな考えは 捨てなくては。

「じゃあママ、行ってくるね」
「ええ、行ってらっしゃい」

 ふわり、と母が優しく笑う。こんな時の母は、女の私でさえ美しいと思ってしまう。たっ ぷりと母性を含んだ微笑み。幼い頃の私はよく、母を女神様みたいだと思っていた。……そ の通りだと思う。
 私はそんな美しい母の笑みに苦笑を返し、冬真を追う為玄関へと向かった。



   ++++++



「おっはよー、優貴っ」
「あ、おはよー。今日もテンション高いね、舞は」

 教室に入ると、見慣れた顔が私を迎えた。彼女は佐伯舞―私の良き理解者だ。自他共に認 める姉御肌。彼女とは中学からの付き合いで、お互い難しい恋を抱えている。彼女の恋の相 手は、七歳年上の数学教師。名を黒澤賢司という。今年から来た新任の教師で、大学を卒業 したばかりの新米教師でもある。なんでも、中学の時の塾の講師だったらしく、その時から 今までずっと好きだそうだ。私には黒澤センセイも舞のこと、満更でもないように見える。 舞を見る優しい眼差しとか、こちらまでドキリとしてしまう程。

「ん?どうしたのよ、優貴。また佐々木センパイに苛められちゃった??」

 心配そうな声音で彼女は言うが、口元はにやりと面白そうに笑っている。……絶対、面白 がってる……。私が本気で悩んでるっていうのに、舞はいつも面白そうに笑っている。 私は全然面白くないのにっっ!!

「舞のバカ……もう相談しないもん……」
「もう、冗談よっ!ほら、聞いてあげるから話してみな」

 先程の表情とは一変して、優しく微笑む舞。そんな顔されたら、何も言えなくなっちゃう よ……。そういうの、狡いと思う。でも、嫌いじゃないんだよなぁ。寧ろ好きだと思う。

「……今度こそは真剣に聞いてよ?」
「はいはい。可愛い親友の為なら、協力して差し上げますとも」

 冗談っぽく、舞は言った。その言葉にややって、私達二人は笑った。この雰囲気、落ち着 く。協力し合って、助け合って。そうやって友情を築いていく。

「で、我が愛しの相棒・時枝 優貴。悩みを話してみぃ?」

 『相棒』……良い響きだ。相談乗ってくれるお礼に、今度アイス奢ってあげよう。

「あのね……冬真が最近、遠く感じるの」
「……ふーん。で?」
「でね、高校に入ってから益々素っ気無くなったし、私と眼を合わせなくなったの」
「……そ。それで?」
「それで……って、実は聞く気無い!?」

 余りにも気の無い返事をする舞に、私は少し苛立ちを感じた。舞はといえば、いつの間に か雑誌なんか読んじゃっていた。

「聞く気無いっつーか……余りにも簡単な問題だから……」
「えっ?」

 意味不明な言葉に、私は戸惑った。そんな私を見て舞は溜息をつき、苦笑しながら雑誌を 机の上に置いた。

「アンタの事だからどーせ『私、嫌われちゃったのカナ……?』、なんて思ってたんでしょ ?」

 うっ……。図星突かれた……。明らかに動揺する私に、舞はまた溜息を漏らした。

「馬っ鹿ねぇ。普通、嫌いな奴と登校する?」
「……親に頼まれたりして、仕方無くなら……」

 そう言った私に、舞は呆れた視線を投げかけてきた。そして仕切り直す様に、じゃあさぁ、 と話しかけてきた。

「嫌いな奴が自分の高校に受けるからって、毎日勉強教えたりする?」

 そうだ……。冬真は朝から晩まで、自分の時間を削ってまで私に勉強を教えてくれた。

「どうなのよ、優貴」
「……しない……と思う」

 その瞬間、舞の表情が一変して、勝ち誇った笑顔に変わった。……なんかムカつくぞ?

「ほぅら!!大丈夫、アンタは絶対嫌われてないから。寧ろその逆……いやいや。これは自 分で確かめなきゃねっ!うん、佐々木センパイは天と地が逆様になっても、アンタの事嫌わ ないから……ううん、『嫌えない』からっ!!」

 ……て、テンション高いよ、舞姐さん……。でも、『嫌えない』ってどういう事?逆って ……?うーん……不明だ。

「……アンタ……『サッパリ判りません』って顔してる……。本当、鈍いんだから」

 舞がまたまた、呆れ顔で溜息を吐いた。溜息つくと幸せが逃げて行くんだよ〜。古来から の常識だよ〜。私は鈍くないよ〜。紙の様に鋭い(切れ味だ)よ〜。

「そんな常識ありませんし、紙の様に鋭いって微妙」
「えっ!?なんで私が考えてること判ったの!?舞、エスパー!?」
「いやいや、私がエスパーだったらユリ・ゲラーも吃驚だよ」


   ++++++


 午前中の授業を終え、私はお昼ご飯を食べるべく、My Heven=食堂へと向かっていた。 今日は月曜日。毎週月曜日は食堂でお昼、と決めているのだ。理由は……舞の付き添い。な んでも、毎週月曜日は黒澤センセイが食堂で食べる日らしいのだ。舞にはいつも相談に乗っ てもらっているので、これくらいは付き合わなくては。しかし今、私は一人で廊下を歩いて いる。いつもなら、隣に舞が居るんだけど……噂の黒沢センセイに呼び出されちゃったら仕 様が無いでしょ……。

「はぁ〜」

 一人とぼとぼ歩いていると、背後から肩を叩かれた。反射的に振り返ってみると、そこに は見慣れた色の頭があった。あ、いや……何故『見慣れた顔』ではなく『見慣れた色の頭』 なのかは、深い深い、海底よりも深ーい理由がありまして……。

「よぉ、時枝。何、溜息なんか吐いてンだよ」
「樋野こそ……ビックリしたよ?」

 一際目立つ、赤い髪。そう。一番最初に眼がいくのは、この赤い頭なのだ。耳に沢山ピア スをつけ、一見悪っぽそうに見える彼・樋野 蓮夜。しかし、中身は至って真面目なのであ る。彼曰く、ただお洒落なだけ、なのだそうだ。そんな彼が何故、教師達からうるさく言わ れないか。それは、彼が学年一の頭脳の持ち主であるからだ。テストでは常に一番上に名前 がある。羨ましい……なぁ。私なんて、常に下の順位だから。

「あれ?佐伯と一緒じゃねぇの?」
「あ、うん……。舞はセンセイに呼ばれて……。舞に何か用事が?」
「ん?いや、別に無いケド。珍しいなぁって思って」
「珍しい?」
「そ。お前等いつも一緒に居るじゃん」

 そう……かなぁ?いつも、って事は無いと思うけど。放課後になると舞は黒澤センセイの 所に行って、一緒に帰れるのなんて極稀だし……。少し寂しいとは思うけど、これくらいは 我慢しなきゃ。あ、だけど。放課後以外はいつも一緒……かな?

「……樋野はこれからお昼?」
「ああ、今から食堂に向かうトコロ。お前は?」
「私も食堂に行くところ……」
「マジ?じゃあ、一緒に行かねぇ?」
「……うん、良いよ」



「あ、あのさ。お前さ、いつも二年の佐々木先輩と登校してるけど、付き合ってんの?」

 食堂に向かう途中、樋野がそんな事を突然聞いてきた。って……えぇぇぇぇぇえええ!?

「えぇぇぇぇええええ!?」
「っ、声でけぇよ」
「ご、ごめん……」

 はっ、えっ!?つ、つ、つ、つ、つ、付き合ってる!?突っつき合ってるじゃなくて!? 別に付き合ってもいないし、突っつき合っても無いけど……。え、ちょ……えぇぇ!?誰と 誰が!?

「つ、つ、つ、付き……付き合ってないよっ!!」
「……動揺し過ぎ」

 かなり動揺して慌てふためく私を見て、樋野は苦笑した。その表情が安心したような、悲 しそうな感じがしたのは、私の気のせいだろうか?

「な、なんで、そんな事、聞くの?」
「ん?いや……気になったから……」
「……え?」

 気になった?って、どういう事?なんで樋野が、私と冬真が付き合ってるかどうかなんて 気になってるの?……ま、まさか樋野、冬真の事が……好きなの?そ、それならライバルだ よ!?男の子とライバルだよ!?勝てる自信ないよ〜!!だって、相手が『あの』樋野だな んてっ!!でも、冬真カッコイイから、惚れちゃうのわかる……。うわぁあぁあん!!どう しよぅ!?

「おい……時枝。お前、『また』見当違いな事考えてるだろ」
「へ?……そんな事無いと思う……?」
「じゃあ、なんで語尾が疑問系なんだよ」
「……癖?」
「……そうっスか……」

 そう言って、樋野は溜息を吐いた。なんか、今日は溜息つく人多いなぁ。幸せ逃げるよ?

「あ、のさ……」
「ん?」
「今日の放課後、暇か?」
「……暇……だけど?」
「……一緒に帰らないか!?」
「一緒に?……そうだね、たまには樋野と帰ってみるのも楽しいかも」

 うん、樋野面白いし。

「あ、じゃ、じゃあ、校門で待ち合わせな!!」
「校門?なんで校門?」
「え、べ、別に良いじゃねぇか!!」
「ふぅん?別に良いけど……」

 そんな話をしているうちに、食堂に着いてしまった。ガヤガヤと、生徒や職員で賑わって いる。その中に、親友の姿を見つけた。

「あ、舞見っけ!!じゃ、樋野。放課後ね!!」

 ……と言っても、同じクラスなので教室で会うけど。

「お、おぅ。またな」



   ++++++



「あっ、優貴ぃー!!こっち!!」
「ま、舞……」

 冷や汗が頬を伝った。この時ばかりは、目の前の親友を蹴り飛ばしたい衝動に駆られた。 しかし『彼』が居る手前、我慢する事にする。ああっ、もう!!別に黒澤センセイが居る事 は敢えて突っ込まないよ?だけどさぁ……なんで冬真まで居るのよっ!?

「悪いな、時枝。俺も昼食、一緒に良いか?」

 黒澤センセイが申し訳なさそうに苦笑した。

「あ、大丈夫です。用事はもう、終わったんですか?」

 申し訳なさそうに言う黒澤センセイに、私も苦笑を返した。そして、密かに気になってい た事を聞いてみた。

「ああ、大体は。佐伯のお陰でな」
「勿論!この私が手伝ったんだからっ!!」

 そう言った舞の耳が赤くなっていた事に、すぐ横に居た私はわかってしまった。なんだか んだ言っても、舞は結構初心な子なのだ。好きな人に褒められたら、すぐに赤面してしまう。 そんな所は、本当可愛いと思う。


「優貴、座れば?」


 その聞き慣れた声に、身の毛がよだった。緊張で、喉が、渇く。

「優貴、聞いてンの?す・わ・れ・ば?」
「う、うん……」

 冬真に言われて、私は舞のすぐ隣、冬真の目の前の席に座った。気まずい沈黙が、私と冬 真の間に流れる。そんな空気を察した舞が、そうだっ!!と私に話を振ってくれた。

「ねぇ!今日の放課後、駅前のカフェに寄ってかない?」
「え……今日?」

 誘いはとても嬉しかった。けど……今日は先約があるのだ。

「ん?なんか用事あった?」
「うん……ごめん」

 申し訳ない気持ちになり、私は思わず俯いた。そんな私に気を使って、大丈夫よっ!また 今度行こうねっ!!と舞は言ってくれた。

「で、用事って?まさかデートとか?」

 にやり、と舞の眼が光った。それと、気のせいかもしれないけど……冬真の纏う空気が冷 たくなった気がした。

「な、違うよっ!!樋野と帰るだけ!!多分、話があるとかだと思うけど……」
「話……ねぇ?告白かもよ?」

 そう言った後、舞はチラリと冬真を一瞥した。私もそれに釣られて冬真を見たが、彼はい つも通りだった。可笑しな所など無い。……と、思う。

「告白なんかじゃないよ。私と樋野はそんな関係じゃないですー」
「……鈍い。鈍すぎるわ、この子」
「はぁ?鈍いだなんて、失礼だよっ!」
「……まぁ、良いわ。樋野だからって気を抜かないようにね」
「……意味が見えないのですが」


「アンタは鈍いって事よ」


   ++++++


 放課後。待ち合わせの場所(校門)に行くべく、私は足を進めていた。
 昼休み、あの後冬真は一言も話すことはなかった。彼は黙々と、自身の好物であるカレー ライスを食べていた。私と舞と黒澤センセイは他愛も無い会話をし、チャイムを合図に別れ た。そして昼食後の気怠い授業を、欠伸を噛み締めながら耐えた。
 樋野の言っていた『話』とは何なのカナ?まさか、恋のお悩み相談カナ?“俺、佐々木先 輩の事が好きなんだ”なんて言われたら……どうしよう!?私、立ち直れないかもしれな い……。

「……だ……きえだ……時枝っ!!」
「っ!!」

 ビックリした……。……あれ?私ってば、いつの間に校門に居たんだろう?考え事してた から気付かなかった。しかも、樋野の呼びかけにも気付くのに時間がかっかってるし……。

「おい、大丈夫か?」

 樋野が心配そうな面持ちで、私の顔を覗いてくる。……恥ずかしいから、あまり見ないで ほしい……。少し、耳が熱くなるのを感じた。

「だ、大丈夫……」
「そうか?……じゃあ……い、行くか」
「うん」



「あははっ!!そうなんだぁ。樋野って妹に扱き使われてるんだ」
「ったく、酷いよなー。このカッコイイ、素晴らしいお兄サマに対して……」

 学校から暫く歩いたところ、私達は兄弟の話で盛り上がってた。私に兄弟は居ないけど、 幼い頃から一緒に育った兄みたいな存在はいた。まぁ、今の私はその人を、兄みたいだなん て思ってないけど。だって私は兄のような存在だったその人を……冬真を好きになってしま ったから。いつからなんだろう。家族に向ける『愛』ではなく、異性に向ける『愛』になっ たのは……。

「……ねぇ。樋野はさぁ……好きな子いる?」

 私がそう問うと、一瞬の間があって、樋野は慌て始めた。この反応は……居るんだな。

「な、いやっ、あ、その、や、」
「樋野ってば……わかりやすいよ」

 面白くて、つい噴出してしまった。

「な、お前わかったのか!?」
「当たり前じゃん。樋野は好きな人がいるんだよね?」
「……それだけ?」
「それだけって……ああ、流石の私も好きな人まではわかんないな」

 私がそう言うと、樋野は安心したような残念なような、という表情をした。

「樋野くーん。お姉さんに教えてみなさいな」
「え、な、何を?」
「好きな人だよっ」

 なんか……樋野ってからかい甲斐があるなぁ……。癖になりそう。

「……お前、本っ当にわかんねぇのか?」
「え……?わかるわけ無いじゃん。私、エスパーじゃないもん」

 ユリ・ゲラーじゃないもん。舞はエスパーだけどさ。人の思考を読み取っちゃうし。

「……っはぁ……鈍すぎ」
「っ!樋野まで鈍いって……!!酷いじゃんかっ!!」
「……佐伯は苦労するよな、お前と一緒に居て」

 はぁ、と樋野が溜息を吐く。なんか、ムカツクなぁ……。

「……そんな事より、早く教えなさい!じゃなきゃ、樋野の事キライになるから」
「っ!…………俺の……好きなヤツは……」
「うん」
「……バカで、アホで、おまけに鈍くて」
「(樋野のタイプって変だな)……うん」
「……今、目の前に居るヤツ」

 ………………………へ?

「……お前だよ、時枝」

 ……………………………………………へ?なっ、え?ちょ、まっ、……え?い、いみ、が、 わかっ、わかんな……ぃ……。

「時枝、俺はお前が好きだ」

 真剣な眼……こんな樋野、知らない。樋野はいつだって、ふざけてる奴なのに……。知ら ない人が、そこに居るようで……恐い。顔が……火照る。と、取り敢えず、何か言わなけれ ば……。

「な、わ、私、に、鈍く、な、ない」
「いや、鈍い。これは譲らねぇ」

 なんでぇー!!なんで告白した本人は、こんな冷静なのー!?私、心臓破裂寸前なんです けど!?内臓破裂で死にそうなんですけどっ!?

「っ……わ、私はっ……」

 私の、答えは決まってる。けど、この返答をすれば、きっと樋野は傷付く。友達に、戻れ ないかもしれない……。だけど、だけど私はっ!!

「樋野、私はね……」

 冬真が好き。……ううん、好きなんてもんじゃない。私は彼を……冬真をっ……。

「……冬真を愛しているの。だから、樋野とは付き合えない」

 私の頬を、一筋の涙が伝った。先程まで火照っていた顔が、いつの間にか冷えていた。… …ああ、思えば今は冬だった。



「……知ってたよ」



「え?」
「知ってて、俺は告白したんだ」
「な、んで……」
「……だってさ、玉砕しとかなきゃ新しい恋はできないし?」

 ニカッ、と彼は笑った。私が好きな笑顔で。『愛してる』じゃないけど。異性に向ける 『好き』じゃないけど、私は樋野が好きだよ。友達としてだけど、好きだよ。

「あり、が、とう……」
「俺こそ、ありがとな」
「樋野、す、すきだよ」
「『ススキだよ』?」
「好き!!……だよ、親友として」

 2人で笑いあった。樋野は好き。だけど、私は冬真を愛しているの。冬真が居なければ、 もしかしたら私は樋野と付き合ったかもしれない。だけどそれは、ありえない事だと思う。 だって、冬真が居なければ、今の私だって居ないから。樋野が好きになってくれた私は居な いから。だから、ありがとう。私では貴方を幸せにする事はできないけど、心から樋野の幸 せを願ってるよ。


   ++++++


 家に帰れば、門の前に人影があった。樋野とは十数分前に別れた。だから、樋野は違う。 それに、あのシルエットは見違えるはずも無い。門の前の人影は、私が愛してやまない人 のものだから。

「冬……真……」
「……優貴」

 お互いの存在に気付き、暫く見つめ合う。息苦しい沈黙が、私達の間に流れる。気まず い沈黙の中、最初に眼を逸らしたのは冬真だった。

「……ど、どうしたの?こんな所で……」

 沈黙が耐えられなかった私は、冬真に問いかけた。淡い期待を抱きつつ。

「お前を待ってた」
「っ、へ……へぇ?何か用事?」
「ああ」

 無表情で、彼は答えた。彼の眼は、遠い遠いところを見ていた。私と眼を合わせたくな いのだろう。

「……で、何カナ?」

 胸が締め付けられるのを我慢して、私は普通を装って聞いた。変に思われないように、 笑顔を顔に貼り付けて。

「……お前さぁ、樋野っていう一年と付き合ってんのか?」

 ズキッ、と胸が痛む。

「……付き合ってないよ」
「……ふぅん。じゃあなんで、一緒に帰ったりしたんだ?」
「それはっ!……それは、樋野が私に話があったから……」

 そう、大事な話。樋野は笑っていたけど、私の眼は騙せない。一瞬だが、彼はとても傷 付いた顔をした。私は、樋野を傷付けてしまったのだ。だけど、後悔はしてない。罪悪感 は胸に残ったままだけど。でも彼の事だから、私が嘘を言ったら許してはくれなかっただ ろう。

「話……ねぇ。どんな話だったワケ?」

 樋野は、こんな私を好きだと言ってくれた。勇気を出して告白してくれた。だから、私 も……。

「……好きだって言われた」
「……あっそ。で?何て答えたんだ?OK?それともNO?」
「……好きな人が居るから付き合えないって言った」
「へぇ。好きな人……」



「……そうだよ。私は……冬真を愛してるから、樋野の想いには応えられないって」


 私がそう言った瞬間、冬真の纏う空気が止まった。彼は眼を見開いて、私を見てきた。 私もそれに応えるように、冬真の眼を見た。

「は……はぁ?」
「……私は、ずっと前から冬真が好きだったの。愛してたの。ひとりの男性として」
「……はぁ、何それ」

 冬真はそう言うと、額を押さえてイキナリしゃがみ込んでしまった。その反応に、私は 戸惑う。

「と、冬真?」
「っ……お前さぁ!!」
「はいぃ!!」
「……俺のこと嫌いなんじゃないの?」
「……はい?」

 え……。言ってることが……変じゃないっスか?だってさ……嫌ってるのは冬真の方で は……?

「……お前、俺のこと避けてたじゃん」
「そ、それは……どう接したら良いのかわかんなかったの」
「…………馬鹿」
「っ、冬真だって私に冷たかったじゃん!!」

 そうだ、冬真だって人のことは言えない。今朝だって素っ気無かった。今朝だけじゃな い。、いつもだ。いつも冬真は素っ気無かった。冷たかった。

「そ、それは…………たんだよ……」

 ……肝心なところが聞こえなかった……。私はもう一度言って、と冬真に頼んだ。それ を聞いた冬真は、聞いてなかったのかよ!?という顔をした。……うん、表情だけね。

「……お前と同じで、どう接したら良いかわからなかったんだよ」

 小さい声で、彼は言った。……私と、同じ……?

「……はぁ、お前にはやっぱりストレートに言わないとわかんねぇか……」

 冬真はそう呟いて、私と眼を合わせた。

「?」

 なんか、久しぶりに冬真といっぱい話したなぁ……。冬真の考えてることサッパリわか んないなぁ……。取り敢えず、私も冬真の眼を見つめようっ。うん、そうしよう。

「優貴、俺はお前を愛してる」
「……えっ……」



「俺はお前を愛してる。世界中の何よりも大切だ」



 “夢なら覚めなければ良いのに”。ああ、こういう事か……。確かに、覚めないで欲し い。物語とかでよく言う台詞。今の私にぴったりだ。愛しい人に、愛しいと言われる充実 感。嬉しくて、叫びだしてしまいそうだ。夢なら、覚めなければ良いのに……。

「……本……当?」
「俺はこんな嘘は言わない」
「……嘘は言うんだ……」

 ……ちょっと、呆れた。普通そこは、俺は嘘は言わない!!とか言うもんじゃない?ま ぁ、そんな冬真も好きだけど。

「で?」
「で?……って?」
「俺と付き合って頂けますかな、姫?」

 手を差し伸べて、彼はふざけた様に言った。私は彼が好き。この気持ちは、絶対に揺る がない。うん、私の答えは決まってる。

「……私でよろしければ、王子サマ?」

 ゆっくりと、彼の手をとる。触れた彼の手は、ひやりと冷たかった。
 私達は歩き出した。少しでも、余韻に浸りたいから。まだ、家には帰りたくない。




「お前の手、暖かいな……」

 ふわり、と冬真が笑う。

「冬真の手は冷たいね」

 私も冬真に笑い返す。

「寒いか?」

 優しい声音で、彼が聞いてくる。

「ううん、大丈夫。……死んだパパが言ってた。手が冷たい人は、心が暖かいんだって」

 昔にも、似たようなことがあった気がする。そう、それは私達がまだ、幼い頃の話……。 だけど、決定的に違うものがある。

「……そうか?」
「さぁ?今の冬真は少し意地悪だよね」

 そう、私達はあの頃と違う。関係も、思考も。だけど、想いは変わらない。

「なっ!それ、好きな男に言う言葉かよ?」
「言う言葉ですー」
「くすっ。……優貴、愛してる」
「私はもーっと愛してるよ、冬真」

 絶対、この想いは君に負けないよ。十年越しの恋だもの。覚悟しといてよね?






「ねぇ、優貴ちゃん」
「なぁに?とーまくん?」
「いつか僕のおよめさんになってくれる?」
「ゆき、パパのおよめさんになるのぉ」
「……じゃあ、僕の隣にずっと居て?」
「ずっと?」
「うん、ずっと」
「しぬまで?」
「死んでも」
「どぉしよー」
「ずっと僕の隣に居て、手を繋いで離さないで?」
「うーん……いいよっ!!」
「本当?」
「うん!ゆき、とーまくんだいすきだもんっ!!」
「……ありがとう」






「うん、ずっと離さないよ」
「え?」

 私が呟くと、冬真が何だ?と言った。懐かしい事を思い出してしまった。

「私……小さい頃の約束、守るからね」
「……覚えてたのか……」

 顔を赤く染め、冬真は呟いた。ええ、勿論。バッチリ覚えていますとも。

「ずっと隣に居て、ずっとこの手を離さないよ」
「……ああ」





 空を見ると、白い雪がハラハラと舞い降りてきた。繋いだ手の平から伝わった、君の優 しい温度。それだけで私は、安心する。そう。それはいつだって私を幸せにしてくれる……







君のてのひら。