戯けた仮面の裏、後悔の表情。
憎い
憎い
憎い。
赦せない、
私から全てを奪った国家が。
だけど、
一番赦せないのは……
私だ。
『第二章』
「八年前に起こった戦争の事を覚えているか?」
「ああ……確か隣国との大規模な戦争だったよな」
クロードは当時を思いながら、顔を歪ませゆっくりと言う。彼の表情が、その
戦争の悲惨さを物語っていた。グリタァはその言葉に、こくりと頷く。
「そう、戦死者は数知れず……。私は、あの戦争で……父と、母、と……妹を失った」
グリタァは喉に何かを詰まらせたかのように、急に息苦しくなった。何故だか
は本人は気付かない。そして、目の前に居る青眼の青年の表情が変わった事も。
気付かないまま、声を絞り出した。
「家、も……友達も失って……私、は……独りに、なった」
+ + + + + +
八年前に起こったあの戦争は、実に悲惨なものだった。
木は燃え、人は死に、疫病が流行る様になった。
軍人はいつしか権力を振り翳す様になり、民は飢えに苦しんでいくようになった。
当時の俺はそんな外の世界とは違い、綺麗で安全な場所で暮らしていた。
『城』という、小さな世界で。
俺が城に住んでいたのは、親の諸事情の所為だ。
俺は民が苦しんでいる中、暢気に暮らしていたんだ。
そんな俺が彼女にどんな慰めの言葉を言っても、虚言にしか聞こえない。
しかし……安全で綺麗だが小さい世界で生きるのと、広いがそれ故に悲しみと苦
しみで満ちた世界で生きるのでは、どちらの方が良いのだろう?
どちらも自由だけど、自由じゃない。
どちらの世界が幸せに生きる事が出来る?
俺には判らなかった。
彼女に出逢うまでは。
+ + + + + +
「……戦争を起こした軍人が、国家が憎い。家族、友人を奪ったこの国が……憎い」
グリタァはそう言って涙を流した。留処も無く零れ落ちる。グリタァはそれを
拭おうとはせず、話を続けた。
「だけど……だけどな、本当は一番……
自分自身が憎いんだ」
そう言った彼女は、笑っていた。華の様に、では無い。それは真に、悲しい笑
顔だった。
「家族や友人を護れなかった、不甲斐無い自分が憎い……。そして、その事実を
受け止められずに、家族や友人を護れなかった事を軍人や国家の所為にした自分
が赦せない……」
グリタァは、濡れた翠眼でクロードを見た。そして、言い終わるのと同時に苦
笑した。
「私は……酷い奴なんだ」
そんな彼女の姿があまりにも痛々しくて、悲しくて。クロードは、考える前に
動いていた。ふわり、とミントの香りが、グリタァの鼻を掠めた。気付けば、グ
リタァはクロードの腕にすっぽりと納まっていた。
「なっ……離……」
「良いんだ」
赤面して抗議しょうとしたグリタァの言葉を、クロードは遮った。より、抱き
しめる腕の力を込めて。思わずグリタァは、「え?」と聞き返してしまった。
「良いんだ、赦して。グリタァ、君の所為ではないんだ」
「な……なに言ってるの……クロード」
優しく、諭す様に言葉を紡ぐクロードに、グリタァは訳も判らず聞き返す。青
眼の青年のシャツを掴むグリタァの細い指は、小刻みに震えていた。
「自分自身を赦してあげるんだ、グリタァ。家族や友人を護れなかったのは君の
所為ではない。不甲斐無い、国家の所為なんだ。国民の事も考えず、闇雲に突き
進んだ国家の」
「ち、違、ぅ……わた……私の所為、だ……」
「いや、君の所為ではない。自分を追い込むのはもう止めてくれ……頼む」
暖かい雫が、グリタァの肩に落ちた。クロードが、小刻みに震えている。
「クロード……寒い、のか?」
そうグリタァが問いかければ、クロードはまた強く、腕に力を込めた。本当は
グリタァにも判っていた。彼は泣いているのだ、と。そんな彼の姿に、グリタァ
は堪らなく胸を締め付けられた。何なのだろう、この気持ちは。苦しいけど、嫌
じゃない。ずっと、此の侭で居たい。グリタァは虚ろに、そう思った。
(……だけど、離れなくちゃ。此の侭じゃ、彼の優しさに甘えてしまう。……そう
すれば、私はきっと自分だけで立ち上がれなくなる。……そんなのは、嫌)
「……クロード、離せ」
グリタァはクロードの胸板を押し返した。しかし、その抵抗はクロードには効か
なかった。寧ろ、彼女が抵抗すればする程、クロードの腕の力は強まった。
「っ……痛、ぃよ。苦しいから……離せ、クロード」
「嫌だ」
まるで子供の様だ、とグリタァは心の中で呟いた。嬉しいやら気恥ずかしいや
らで、グリタァの顔の温度は上昇していった。そしてその時、はたと気付く。
(嬉しい、と思ったのか?私は)
何故嬉しいと思ったのだろう、私は。と、グリタァは戸惑う。徐々に、抵抗す
る力は衰えていった。それに比例するかの様に、クロードの腕の力は強まる一方。
ところが、不意に腕の力が緩められた。そして、ゆっくりとグリタァを離す。そ
んな彼の表情を窺おうと、グリタァは彼を見上げた。その瞬間、時が止まったか
の様に、グリタァは固まった。あまりの驚きで、動く事が出来なかったのだ。
彼の顔には涙の気配は無かった。先程彼が流したであろう涙は、跡形も無く消
えていた。しかし、その代わりに彼は、余りにも悲しそうな……今にでも泣き出
してしまいそうな顔をしていた。
「く、くろーど?」
彼女がやっとの思いで絞り出した言葉。脳内が真っ白で、気の利いた言葉さえ
浮かばない。もどかしさが、グリタァの中を駆け巡った。
「……なぁ……グリタァ。俺の事、どう思う?」
グリタァは目を見開いた。この男は何を言っているのだ、と。目の前に居る青
眼の青年の真意を見極める為、彼の青の瞳を見つめる。始めて逢った時、なんて
不思議な眼をしているのだろうと思った。それと同時に、なんて輝いた瞳なのだ
ろうとも思った。まるで、夜空に輝く星の様だ、と。そして今、グリタァは自分
の翠色の瞳で、彼の青い瞳を捉えている。煌めく瞳、真摯な眸。彼の眼が告げて
いた、真剣に。俺の事は信じられるか、と。
「……私は……軍人は信じない。信じられない」
そう言ったグリタァの眼は、遠くにある“何か”を捉えていた。遠い遠い、過
去の先にあるモノ。グリタァの言葉を聞いたクロードは、「そうか……」と悲し
気に相槌を打った。その言葉に続きがあるとも知らずに。
「そうか……。そう、だよな……。軍人はお前の大切なものを奪ったんだものな」
悲しい呟き、寂し気な表情。それらが、グリタァの胸を締め付ける。「だけど」
と彼女は続けた。
「だけど……
お前は信じられる」
ピクリ、とクロードが反応した。
「お前は軍人だけど、信じられる。私は、“クロード”という一人の人間を信じ
るんだ。だって……」
グリタァは、その先の言葉を続ける事は出来なかった。強く、クロードに抱き
締められてしまったから。だけど彼女は、先程の様に抵抗しようとは思わなかっ
た。理由は至って単純明解。彼女は、自分がクロードに抱く想いに気付いてしま
ったから。気付いてしまえば、納得するのは早かった。彼の態度に苛立ったのも、
彼に過去を話したのも、彼の前で涙を流したのも、彼の悲し気な表情に胸が締め
付けられたのも。全て納得が出来た。そして、愛しさが芽生えた。ゆっくりとグ
リタァは、クロードの背に腕をまわす。身長に差がある為、彼女はクロードの背
に腕をまわすのさえ一苦労だった。結局、背伸びをして修まった。
「グリタァ」
行き成り名前を呼ばれたので、彼女は少しだけ驚いた。
「ん?」
「……俺は必ず、この国を変えてみせる。悲しむ者が出ない国にしてみせる」
そう誓いを立てるとクロードは、ギュッと腕に力を込めた。それに応える様に、
グリタァも抱き締め返した。