心が軋んで、痛いと嘆く。
アイツと居ると調子が狂う。
何故だ?
『第一章』
―何故……どうして『こんな』事に……。
「情けない……」
グリタァの翠色の瞳には、不思議な青い眼の青年が映し出されていた。目の前
に居る青年は先程急に倒れてしまい、今では安らかな顔で規則的な寝息をたてて
いる。
さて……これから如何するか。グリタァは眉間に皺を寄せ、考えた。迷ってし
まった事実を曲げる事は出来ない。日も大分沈んでしまった。無闇に動き回るよ
りは、朝が来るまで此処でじっとしている方が賢いと言うものだ。それに……こ
の青年を放って置く事など出来ない。グリタァの『勘』が、そう言っているのだ。
ならばそれに従おうではないか、と言う事になった。
確かにグリタァは軍人が嫌いだった。しかし、この青年は何かが違う気がした。
ただの気のせいかもしれないけど。
+ + + + + +
「うっ……ここは……」
「気が……付いたんですね」
「え?」
青年はとっさに、自分の呟きに答えた声の方を振り向く。そこに居た声の主は、
未だ幼い顔立ちの少女だった。しかし、不思議と大人っぽい凛とした雰囲気があ
る。
「君は・・・?」
男は少女に問うた。しかし少女は、「自分が始めに名乗ったら如何だ?」と言
って、自分の名を言おうとはしなかった。男は「それもそうだな・・・」と苦笑
した。
「俺の名はクロード。王都から来た」
男・・・否、クロードはそう言ってニカッと笑った。
「・・・王都」
グリタァは小さな声で呟いた。
「王都に興味があるのかい?」
男は愉しそうな笑みを口元に湛え、問うた。そんな男の表情に、何故かムッと
したグリタァ。男を睨みながらどっちとも取れない返事をした。
「・・・別に」
「ふーん?そうだ、俺ちゃんと名乗ったからさぁ、君の名前教えてよ」
男はまだ愉しそうな笑みを顔に張り付けていた。グリタァは不本意ながら、自
分の名を言う為口を開いた。
「グリタァだ」
+ + + + + +
翌日、無事家に帰れたグリタァだったが、どういうわけかクロードまでも着い
て来てしまった。本人曰く、帰り道が判らないらしい。それを聞いたグリタァは
暫く、呆れて何も言えなかったらしい。しかも彼は、全治一週間の捻挫をしてい
たらしい。そんな人間を放って置く程、グリタァも鬼ではない。軍人を家に置く
のは気が気ではなかったが、結局一週間だけ世話をしてやる事にしたらしい。
+ + + + + +
「本当ごめんね〜、お世話になっちゃって」
クロードという青年は「悪いなぁ」とは言いつつも、何処か嬉しそうだった。
「悪いと思うのなら出て行け」
グリタァはクロードに容赦無い。元々毒舌なグリタァだが、特にクロード相手
だと本当に容赦無い。クロードに対する言葉には刃の様に鋭く、氷の様に冷たい。
そんな様子が伺える。しかも、心成しか目付きも鋭い。おまけに、グリタァは本
心で言っている。クロードも救われない。しかしクロードは、それも全部知って
世話になっているのだ。
「俺は治るまで出て行かないよ」
戯けたクロードのその言葉に、グリタァは『変な奴』と心の中だけで呟いた。
口元には一瞬だけ、笑みが浮かんだ気がした。
「そう、ならばお前にも手伝って貰わねばな。この家で過ごすからには働いても
らう。働かざる者食うべからず、だ」
「俺……怪我人なんだけど。それに一応、軍人だし……」
クロードは、自分を指差すジェスチャーをしながら、情けなく言った。そんな
クロードに、グリタァは額に青筋を浮かべて容赦無く言う。
「道に迷う軍人なんて居るかっ!!」
と。
+ + + + + +
王都に在る城のとある一室に、数名の軍人らしき影があった。
「何っ!?“あいつ”が行方不明だと!?」
まだ、十代後半といった青年が、声を張り上げて言った。それに応えるように、
小柄な一人の軍人が言う。
「はい。森に入った所までは居たのですが…」
「消えたと」
「あ、はい」
小柄な軍人の言葉を遮って、青年は言った。そんな青年の言葉に、小柄な軍人
は相槌を打つ。青年は険しい面持ちで、「ちっ」と舌打ちをした。
+ + + + + +
「なぁ、グリタァって歳いくつ?」
いつからコイツは、気安く私の名を呼ぶようになったのだろう。と考え、グリ
タァは一瞬顔を歪ませた。
「……何故、そんな事を聞く?」
翠色の瞳の少女は、怪訝な顔をして聞き返す。「お前こそ幾つなのだ」と。
「いや……そういえば知らないな、と思って。因みに俺は、ピチピチの十八歳だよ」
戯けた様に、彼は言う。そんなクロードに苛立ちを覚えつつも、グリタァは答
える。「十五だ」と。
「嘘っ!?じゅうご?見えないなぁ。十七歳くらいかと思った」
「……老けてると言いたいのか?」
「えっ、違うって!十五歳にしては大人っぽいなぁ、って」
「……そんなに変わらないじゃないか」
――コイツと居ると、調子が狂う。
グリタァは思った。何故、こんな気持ちになるのだろう?と。コイツは軍人な
のに。憎き家族の敵、軍人なのに。
「私は……軍人なんて嫌いだ」
――確かに、嫌いだった。
「うん、知ってる」
――そんな……優しい声を出さないで。
甘えたくなってしまう。
「だから……私は……
お前も嫌い、だ」
――お願いだから、こんな嘘に騙されないで。
+ + + + + +
後悔……した。
本当……久しぶりに。
『あの日』以来かもしれない。
否……。
私はずっと後悔していた。
だけど……
『あの日』以外の事で後悔したのは、初めてだ。
+ + + + + +
「なぁ、グリタァ」
優しい声に名を呼ばれて、グリタァは振り向く。
「な、なんだ?」
グリタァは明らかに意識していた。昨夜、自分がクロードに対して言った事を
気にしているのだろう。よく見ればグリタァの顔は引き攣っていた。それも、面
白い程に。
「……そんなに構えるなよ」
クロードは苦笑して言った。その顔には寂しそうな、だけど嬉しそうな複雑な
表情が浮かんでいた。
「か、構えてなどいないっ!!」
グリタァは耳まで赤くなるのを感じた。顔が火照るのを感じた。
「そ?……でさ、聞きたいことが有るんだけど……
なんで軍人が嫌いなんだ?」
一瞬、グリタァの周りの空気が張り詰めた。
「……なんでだ?」
一拍置いて、グリタァは言った。グリタァの瞳には、不安と、驚きの色があっ
た。そう、まるで「何故そんな事を聞くのだ」と言っている様だ。
「……グリタァの事が、知りたいと思ったから」
クロードはいつもの戯けた態度と打って変わり、至って真面目に言っていた。
そんなクロードの言葉に、グリタァは目を見開いた。
「私の事が……知りだと?」
「ああ、全てとは言わない。グリタァが言いたくない事は、無理して聞こうと思
わない」
クロードの瞳は、グリタァの翠緑色の瞳を捉えて離さない。本当は恥ずかしく
て直ぐにでも目を逸らしたいグリタァなのだが、クロードの瞳がそれを赦してく
れない。クロードの瞳を見ていると、不思議と体が従ってしまうのだ。
「……判った、お前に私の過去を教えてやる」